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No,78 ヘタウマってなんだ?それは湯村輝彦だ!

ヘタウマってなんだ?それは湯村輝彦だ!

 

皆様はヘタウマと言えば誰を思いつくだろうか?

 

小説なら、山田悠介?枡野浩一?

音楽なら、ブルーハーツ?エレファントカシマシ?

漫画なら、蛭子能収?

 

イラストなら…。

 

湯村輝彦

 

で異論はないだろう。 

湯村輝彦の描く絵は、

 

下手だ。

それでいて上手だ。

 

ナンセンスだ。

それでいてセンス抜群だ。

 

こんな矛盾するイラストを描き続ける人間を、

私は湯村輝彦以外に知らない(知ってるけど、ここでは知らないと言っておこう)。

 

一度その絵にはまってしまえば、

怪しげなクスリよりも、

タバコよりも、

酒よりも、

抜け出すことが難しいだろう。

 

日本を代表するヘタウマイラストレーターの魅力をどうぞ。

 

 

基本情報

「湯村輝彦」

本名

  • たぶん「湯村輝彦」

生年月日

  • 1942年11月1日
出身地
  • 東京都

最終学歴

  • 多摩美術大学平面図案科  卒業
代表作品
  • ペンギンごはん
  • ガロの表紙絵
  • オロナミンCの広告
  • COMIC CUEの表紙 …etc.

 

作風 

 

 

言で言おう。

下手だ。

上手い。

そんな謎の作風を持っている湯村輝彦。

そしてやたらに下品である。

だが、そのナンセンスさが湯村輝彦の真骨頂なのだから仕方がない。

 

子供の心を持った大人…。

 

ズバリ、それは湯村輝彦のためにあるのだろう。

 

正にコナン君の逆バージョンである。

 

「体は大人、頭脳は子供!」

 

そんな、湯村輝彦が後世に与えた影響は大きいはずである。

なんといっても、ヘタウマの元祖なのだから…。

 

このブログで何度も言っているが、

「史上初の」

「元祖」

「先駆け」

などと言われる人たちは本当にすごい。

新しいものを生み出すということは、

それだけで価値のあるものだ。

 

よって、湯村輝彦は天才なのだ。

 

 

湯村輝彦が有名アーティストになるまで

 

さよならペンギン (ほぼ日ブックス)

さよならペンギン (ほぼ日ブックス)

 

 

なんと父は明治座の支配人。

つまりお坊ちゃまであったということ。

月に一度は歌舞伎を鑑賞し、

手に入る漫画雑誌は片っ端から購読していたらしい。

なんと恵まれた環境か…。

 

そんなこともあり、湯村輝彦は幼き頃から漫画やイラストに触れて育った。

大学ではデザインを勉強し、

週刊女性自身のコラムカットからスタートしたイラストレーター業は順調で、

三菱石油などの広告の仕事をこなす。

この仕事で、1968年に東京イラストレーターズ・クラブ新人賞を受賞。

1976年には、ウェルジンの広告でADC賞を受賞。

同年、糸井重里と漫画雑誌ガロにて「ペンギンごはん」を発表。

 

結果、彼は人気天才イラストレーターとなったのだった…。 

 

スーパーリアル・イラストに勝利した漫画

情熱のペンギンごはん (1980年)

情熱のペンギンごはん (1980年)

 

 

1960年代当時、イラスト業界はスーパーリアル・イラストと呼ばれる、

リアリティにあふれた作品が多かった。

写真と見まがうような超写実主義と呼ばれる画風である。

 

「当時はスーパーリアル・イラストの全盛期で、チラシの裏にサインペンで落書きしたみたいな俺の作品は「何?これ?」みたいな感じで全然評価されなかった。希望の灯が見えるのをじっと待つ辛抱の時代だったね。」

 

その希望の灯は、

あの伝説的漫画雑誌「ガロ」の連載によりともされることとなる。

そう、その作品こそが糸井重里と共作した「情熱のペンギンごはん」である。

 

「ペンギンにチンポコつけたら面白いかなとか…。そのうちにペンギンだかペニスだか見分けがつかなくなっちゃったw」

 

さすがだ…。

スーパーリアル・イラストという強敵を倒したのは、

下半身ギャグ満載の下品な漫画だったのだ…。

 

因みに、ガロの表紙のギャラはゼロ円だったらしい…。

「情熱のペンギンごはん」はいくらか知らない…。

 

上手くならないための努力

 

ハゲハゲライフ (講談社文庫)

ハゲハゲライフ (講談社文庫)

 

 

いやいや、イラストレーターなんだから上手くなれよ!

と言いたくなるが、湯村晴彦はまじめにそう考えているらしい。

 

「俺が重視するのは”下手”をキープする事。うまくなならないための努力は欠かさない。」

 

まじかよ…。

 

まじなのだ。

理想は便所の落書きというのだから、

どこまで本気で物を言っているのか全く分からない。

 

しかし、絵が好きな人ならわかっていただけると思うが、

湯村輝彦の書く絵はまねをしようと思ってもまねできない。

それってつまり上手いということ以外の他でもない。

 

フラミンゴ・スタジオ

 

 

湯村輝彦は 1975年にフラミンゴスタジオという会社を設立している。

その出身者がまたすごい。

永井博、

マーチン萩沢、

ヒロ杉山…。

才能には才能が集まるのだな。

 

 

小ネタ

奥様もイラストレーターである。

その名は「湯村タラ」。

奥様の画風が定まるまで、湯村輝彦はパンチラの絵を描くように勧め、

ポルノ雑誌を見せまくったそうだ…。

その結果完成したのが「タラ・ガール」…。

すごいわ、あんた…。

 

 

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