Masasakiblog

アートを愛し、アートに生きよう。。。

No,10 哀しみの詩人「中原中也」

本日はポエムについて書こう。

ズバリ、

「中原中也」

が本日の主役だ。

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中原中也

といっても、詩というジャンルは数あるアートの中でも、比較的マイナーなジャンルである。

中原中也は確かに有名な人物だが、詩の需要が無い昨今、知らなくても仕方がない。

 

ここで、あえて質問してみよう。

このブログを読んでいる人の中で、詩集を購入したことのある人がどれだけいるだろうか?

多分そんなにいないと思う。

「ポエム大好きだよ」

なんていう人は、風変わりな奴に決まっている。

私はポエム大好きな人物かつノーマルな人物に、未だ嘗て遭遇したことがない。

もし、

「私はポエム大好きでノーマルだ」

と思ってる人がいるとしても、それは十中八九錯誤である。

私がそうであるように、ただの思い込みで実際には変な奴であろう。

 

私が「中原中也」と出会ったのは学生の頃、

かの有名な変態的前衛店、

Village Vanguard

略してビレバンであった。

田舎者の私は、当時、ビレバンこそナウいヤングの通う店だと信じてやまなかった。

週に一回は必ずビレバンに足を伸ばしていたのである。

 

皆さんご存知でないかも知れないが、ビレバンは元々本屋さんである。

企業ホームページをみても、

「遊べる本屋」

とうたってある。

ビレバンには、時に喉から手が出る程購買意欲をそそられる書籍が積み上げてあるのだ。

その多くが、雑学の本であるのだが、その中に紛れて非常に芸術性の高い書籍も並んでいる。

私がビレバンにあせくせと足を運ぶ理由はそこにあるのだ。

 

それでは、ビレバンでの出来事を記そう。

 

ある日、いつも通りビレバンの書籍コーナーで、

面白そうな書籍を探している青年がいた。

その青年こそ、何を隠そう、このブログの管理人である、「佐々木暢之介」であった。

青年「佐々木暢之介」は、ふと棚に平積みされた本を手にした。

その表紙には、今まで目にしたことのない素敵な一文が書いてあったのだ。

 

「汚れちまった悲しみに」

 

青年”佐々木暢之介”は、思わず涙しそうになった。

いや、すでに青年の目は花粉症のため、充血していた。

気がつけば、青年はその本をレジに置いていたのだった。

 

とまあ、要約すればたまたま置いてあった本の表紙を気に入り、その本を買ったのである。

  

汚れつちまつた悲しみに…… 中原中也詩集 (集英社文庫)

汚れつちまつた悲しみに…… 中原中也詩集 (集英社文庫)

 

 

「汚れちまった悲しみに」

 

なんとも素敵なフレーズではないか。

私は、この文章から、

客がいなくなり寂れた遊園地や、

日没の長い長い影を見た時のような寂しさを感じてしまう。

そして、日本語とはなんと美しい言語なのだろうかと再確認するのである。

 

言葉とは時に力強いが、時に儚くもあるものだ。

そして儚い言葉というものは、人を優しくする

今でもたまに中原中也の詩集は読み返すことがあるが、

その言葉の儚さに涙しそうになるのだ。

 

 

基本情報

「中原中也」

本名
  • 中原中也

生誕

  • 1907年4月29日

死没

  • 1937年10月22日(30歳)

出身地

  • 山口県吉敷郡下宇野令村(現・山口県湯田温泉)

最終学歴

  • 東京外国語学校(東京外国語大学)  専修科仏語部修了
代表作
  • 「山羊の歌」 1934年
  • 「在りし日の歌」 1938年

 作風

中也の作品は、哀愁漂う文章表現である。

どうすれば、中也のように哀しく儚い表現が書けるのだろうか?

これだけの文章を書くまでには、相当辛い人生体験があったに違いない。

同じ文章を書く人間として、うらやましくもあり、

決して中也のような文章を書けるようになりたいとは思わない。

 

誰しも、一度くらいは「胸にポッカリ穴が開いたような気持ち」になったことがあるだろう。

中也はそんな悲観をありありと表現している。

そうでなければ、こんな文章を残せるだろうか?

今日また自分に帰るのだ

ひっぱったゴムを手離したように

そうしてこの怠惰の窗(まど)の中から

扇(おうぎ)のかたちに食指をひろげ

青空を喫(す)う 閑(ひま)を嚥(の)む

蛙(かえる)さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜とて星をみる

ああ 空の奥、空の奥 

母親はひと晩じゅう、子守唄(こもりうた)をうたう

母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう

然(しか)しその声は、どうなるのだろう?

たしかにその声は、海越えてゆくだろう?

暗い海を、船もいる夜の海を

そして、その声を聴届(ききとど)けるのは誰だろう?

それは誰か、いるにはいると思うけれど

しかしその声は、途中で消えはしないだろうか?

たとえ浪は荒くはなくともたとえ風はひどくはなくとも

その声は、途中で消えはしないだろうか?

母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう

母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう

淋しい人の世の中に、それを聴くのは誰だろう?

淋しい人の世の中に、それを聴くのは誰だろう? 

ああ それにしてもそれにしても

ゆめみるだけの 男になろうとはおもわなかった

 

目に見えるすべてを、過去を、未来を否定しているかのような中也の表現は、

女々しい作品が多い(私の個人的な意見である)。

しかし、その女々しさこそが中也の個性であることは間違いない。

 

ノスタルジーを深く伝染させる中也の詩は、

恐らく多くの作品が後世に残されることだろう。

 

山羊の歌

山羊の歌

 

 

中原中也という人物

中原中也は性格があまりよろしくなかったそうだ。

酒を飲み、暴れまわったことも記録に残っている(この時、警察に連れていかれている)。

また、何に対しても疑い深く、友人関係もうまくいかなかったようである。

今でいう、社会不適合人間だったのだろう。

中原中也の評価

中也の作品は、死後に有名になったと思っている人も多いかもしれないが、

実は中也の作品は生前から評価が高かったようである。

萩原朔太郎もその詩を高く評価していたそうだ。

 

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小ネタ

太宰治は中也を嫌っていたということである。どうやら、飲み屋でひと悶着あったそうで、それがきっかけで太宰治は中也を拒絶するようになったとか…。

ただし、太宰治は中也の実力は認めていたようで、

死後、中也の才能を惜しむコメントを残している。

 

最後に

自分の趣味を人に押し付けるのは私の好みではないが、

中也だけは違う。

中原中也は日本人であれば一度は読んでいただきたい。

私は、何度か山口県にある中原中也記念館を訪れたことがある。

近くにある”松田屋ホテル”は、明治維新の志士たちが滞在したホテルで、

最高であるが、それはまた別の話…。

 

  

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