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アートを愛し、アートに生きよう。。。

No,66 ドイツからの刺客、ロバート・ラウシェンバーグ

ドイツからの刺客、ロバート・ラウシェンバーグ

 

今日も私の大好きな、

意味不明作品を紹介する。

 

ロバート・ラウシェンバーグ

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ロバート・ラウシェンバーグ

 

である。

アメリカ人なのに、ドイツっぽい名前。

それがロバート・ラウシェンバーグだ。

 

結構有名な人なので、すでに知っている人もいるかもしれない。

大統領ケネディをモチーフにした作品なんかは、

見たことある人も多いだろう。

 

ガラクタを芸術に変える技術は一級品、

観るものの頭にクエスチョンマークを付ける技術も一級品、

女性の扱い方も一級品り

そんなロバート・ラウシェンバーグは、

本国アメリカでは、アンディー・ウォーホルに並ぶ20世紀の巨匠。

 

知らない人は要チェックだ。

 

 

 

基本情報

「ロバート・ラウシェンバーグ」

本名

  • ロバート・ラウシェンバーグ

生年月日

  • 1925年10月22日

死没

  • 2008年5月12日(82歳)
国籍
  • アメリカ合衆国
代表作品
  • ホワイト・ペインティング(1951年)
  • 自動車のタイヤによるプリント(1953年)
  • エース(1962年)
  • 遡及力(1964年)
  • カードバード・ドア(1971年) …etc.

 

作風

 

Robert Rauschenberg: Rauschenberg in China

Robert Rauschenberg: Rauschenberg in China

  • 作者: Robert Rauschenberg,Julia Blaut,Susan Davidson,Philip Tinari
  • 出版社/メーカー: Walther Konig
  • 発売日: 2019/05/21
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この人の作品は、一定のスタイルというものがない。

しょっちゅう違う雰囲気の作品を発表し、

常に新しいものを追及している。

よって、作風を語るのがとても難しい作家の一人なのである。

 

あえて言うならば、

常に時流に乗り続けるエネルギーを持ったアーティストというのだろうか?

ん~難しい…。

 

テーマを決めろよ、人生のよ!

 

と突っ込みたくなる。

だが、ロバート・ラウシェンバーグの色彩感覚だけは、

どの年代を見ても一定な気がする…。

ロバート・ラウシェンバーグの色彩感覚は、

アメリカンな感じではなく、どちらかといえばヨーロピアン。

ドイツ人の血が流れているからなのか、

温かみのある色を多く使っている。

あえて言うなら、このくらい。

 

 

ロバート・ラウシェンバーグがアーティストになるまで 

 

Rauschenberg: Art and Life

Rauschenberg: Art and Life

 

 

実は、ロバート・ラウシェンバーグがアーティストを志したのは22歳前後…。

かなり遅い…。

しかし、デビューはその一年後くらい。

目覚めは遅いが、デビューがやたらに早い、ちょっと変わった人なのだ。

 

ロバート・ラウシェンバーグはドイツ移民三世の家族の元、テキサス州で生を受けた。

幼い頃は、内気で照れ屋だったらしい。

しかし、高校生の頃、演劇活動に携わりその性格を克服。

勉強は全くせず、自由奔放に青春を送った。

10代後半は、第二次世界大戦の真っただ中であったため、

18歳から20歳まで海軍に勤める。

この頃の戦争体験が、後年の反戦思想の主な要素となったそうな。

 

1945年に除隊したロバート・ラウシェンバーグは、「踊り子の水着製作工場」に就職。

ここでデザイナーに出会ったことから、自身の方向性を定めた。

そこからは早い。

1948年にパリに行き、美術研究所「アカデミージュリアン」に入って就学し、

就学中に前衛美術の有名人になっている。

 

才能ってすごい…。

 

貧困の中で生まれたコンバイン

 

 

ロバート・ラウシェンバーグは、「コラージュ」のことを「コンバイン(結合)」と呼ぶ。

意味としては両方似たような意味だが、

貧困の生活を送っていた1960年代、

金がなさ過ぎてカンバスも買えなかったロバート・ラウシェンバーグは、

日用品や廃物を拾い、それをアートに変えていた。

無価値のものを融合させ、価値を与えていたことになる。

このことから、ロバート・ラウシェンバーグは、「コンバイン」という単語を使うようになった。

 

「50年代の前半、ほとんど最初の頃は、魚屋の捨てた木の箱を使って、中に泥をくるんだ布をいれたりした。あのころ住んでいたフルトン・ストリートは魚市場の近くでね。その箱が実に臭いんだ。(中略)金がなくてカンヴァスが買えなかったからでもあって、けっして美学上の問題じゃない。(中略)手あたり次第、拾えるものの上に描いたわけで、私は自分の表面を、支持体を、発明したことになる。多分、私のそれ以後の方向はこのことに関係があるかな」

 

苦労したんだということがわかる。

 

ロバート・ラウシェンバーグと抽象主義

 

 

「絵は、生き方と芸術の両方にかかわるものだが、そのどちらも作り出すことはできないし、だから私はその狭間を埋めようとする。」

 

 

60年代のアメリカはポップアートムーブメントが広がる。

そんな中、ロバート・ラウシェンバーグは、

ポップアートの先駆者と呼ばれるようになってしまった。

 

しかし、ロバート・ラウシェンバーグは、

ポップアートムーブメントが起こる以前から、ポップアートを作ってきた。

彼は、自身の作品を、ポップアートであるなんて意識していなかったようで、

ポップアートと言う単語が、ロバート・ラウシェンバーグに追従したのだ。

よって彼は、ポップアートと呼ばれることに対し、否定的な姿勢を取っていたらしい。

 

まぁ、ポップアートっていうのは単なる名称だからね。

勝手にカテゴライズされるのを嫌がる気持ちもわからないではないな。 

 

反戦運動

 

 

ロバート・ラウシェンバーグは、自身の経験した戦争体験から、

戦争を嫌い、反戦運動に情熱を注いだ。

特に、ベトナム戦争は若き日のロバート・ラウシェンバーグの関心のすべてだったらしい。

 

その、反戦思想は当然政治への関心を生み、

その後も、ロバート・ラウシェンバーグは税金闘争を含めて、

永い間、アートに政治的な思想を詰め込み続けた。

 

「芸術家は、あらゆる文化間の交流において『平和に貢献する』卓越した立場をとるべきである」

 

という考えのもと、ROCI(ロッキー)という団体を設立。

世界各地でアート巡回展覧会を開いたそうだ。

 

ロバート・ラウシェンバーグは、アートで世界を変えようとした一人だということである。

 

 

変化し続ける作風

 

 

ロバート・ラウシェンバーグは、アーティストの中でも、

その作風が激しく変わり続けたアーティストである。

ブログ泣かせだと言える。

書きづらくて仕方がない。

 

「私は、ありとあらゆるものを使って、世界を与うる限りたくさん存在させたいだけなんだ。」

 

調和なんぞ、ロバート・ラウシェンバーグの辞書には存在しない。

常に何かを破壊し、何かを作り続けるロバート・ラウシェンバーグは、

観るものを混乱させる。

 

中には、そんな変化の激しいロバート・ラウシェンバーグを嫌う人もいるらしいが、

(テーマが一貫していないから駄目だこいつはなんていう人がいるらしい…)

私は、チャレンジ精神旺盛なロバート・ラウシェンバーグの思想、

嫌いではない。

 

小ネタ

結構な女好きだったらしい…。

ロバート・ラウシェンバーグについて、

女が変われば、作品が変わるなんて言う人もいるくらいだ…。

昔から、色恋沙汰は芸の肥やしというが、

本当かもしれない…。

 

 

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