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アートを愛し、アートに生きよう。。。

No,25 「田名網敬一」の作品を見て悪趣味だというやつは悪趣味である

「田名網敬一」の作品を見て悪趣味だというやつは悪趣味である

これは声を大にして言いたい私の持論である。 

 

Dream Fragment(夢のかけら) (ele-king books)

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ということで、本日のテーマは「田名網敬一」である。

アニメータを目指いしている人や、ポップアート大好きな人は、

 

「なんだよ、有名じゃんよ。」

 

なんていうかもしれない。

確かにそうである。

「田名網敬一」は有名で、ポップアート表現アバンギャルド表現の第一人者である。

語るまでもないかもしれない。

それでも、知らない人のために語っておこう。

このブログは、そういうスタイルのブログなのである。

 

さて、この「田名網敬一」であるが、

一言でいうと、「奇人・変人」の部類に属する男である。

そして、私は「奇人・変人」が大好きな「奇人・変人」である。

「田名網敬一」は、正に”私好み”のアーティストなのだ。

 

これは私見だが、「田名網敬一」の描く作品は、

シュールでありながら、人々を楽しませるエンタメ性を持っている。

 

近年の芸術というものは、作者の精神的内面を描くことが主流になっている故に、

普段アートに触れ合う機会のない人々にとっては、理解しがたいものではないだろうか?

しかし、「田名網敬一」は違う。

もちろん、アートなので多少わかりにくい作品も多いが、

「田名網敬一」の描く作品は、その思想、スタイルがはっきりしており、

比較的わかりやすく、作者独特の作画センスと色彩感によってみるものを楽しませてくれるのである。

そうでなければ、ただのアイドルバンドであった「The Monkeys」のレコードジャケットなんて手掛けないだろう(あくまで私見なので悪しからず…)。

 

とても意味不明な作品なのに、意味が少しわかってしまいそう。

 

なんて思わせてくれるアーティストはそういない。

そこだけに着眼しても、一度は目にしておくべきアーティストである。 

 

 

以前も寄稿したが、私は大学生の頃、バンドマンであった。

当時とがっていた私は、若者の好む音楽を全く聴かず、

1940年代から1970年代までの音楽を好んで聴いていた。

そんなこともあり、ポップアートやシュルレアリスムに触れる機会が多く、

私の周りの友人たちも、当然のように難解な作品を好んで観たり聞いたりしていた。

アートというものは不思議なもので、はじめ全く理解できないアートであっても、

作者の詳細を知ったり、その作品が完成した時代背景を知ったりすると分かった気になれる。

当時、まだまだ経験値の足りない私は、

女の子の前で博学を披露しまくりたいという不純な動機から、

アートを知っては調べ、観ては調べ、聴いては調べを繰り返していた(現在このブログを書くことができるのも、その頃の知識の貯金があるからである)。

そんな時、私は「田名網敬一」を知ったのである。

第一印象はこうだ。

 

「ん、なんかいいなこの絵…。」

 

またもや持論だが、アートにおいて「なんかいい」というのは非常に大切だと私は思っている。

結局、作者が本当に伝えたいことを100%理解することなんてできないし、

作品の解釈が他人と違うなんてしょっちゅうだ。

 

「アートを語るなんて早いんだよ」

 

なんて言っている奴が、アートを理解してないなんてことも少なくはない。

無駄な話はとにかく、「田名網敬一」の作品を、私は非常に好意的に見ることができた。

第一印象が良かったのだから、その後私は、

当たり前のように「田名網敬一」作品にはまり、

「田名網敬一」の様々な情報を集めるのに躍起になった。

挙句の果てにはファッションまで派手になったのである。 

 

 

基本情報

「田名網敬一」

生誕

  • 1936年7月11日

出身地

  • 東京都中央区

最終学歴

  • 武蔵野美術大学造形学部デザイン科
活動ジャンル
  • グラフィックデザイン
  • ポップアート
  • イラスト
  • 映像アート  …etc.

代表作

  • 仮面のマリオネット達たち(アニメーション)
  • NO MORE WAR(シルクスクリーンプリント)
  • Pisces,Aquarius,Capricorn&Jones Ltd(The Monkeysレコードジャケット)
  • 人口の楽園(映像作品)  …etc.
作品が多すぎる…。

 

作風

「田名網敬一」作品は、とてもエキセントリックである。

そして、何やら得体のしれないパワーに満ち溢れている。

摩訶不思議な世界観で想像力を掻き立てられるし、

とてもポップな色彩も多く、観れば楽しめること請負である。

 

「田名網敬一」のイラストは、

多くが、”実際に見た夢の中”を描いているのだそうだ。

一時期の「田名網敬一」は、朝起きてすぐ、見た夢をノートに記録していた。

だが、それが原因で、次第に精神が崩壊してしまい、精神科の先生に

 

「夢記録はやめましょう」

 

と注意されたことがあるそうだ。

うーむ、やはり変人である。

 

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さらに、第二次世界大戦を経験した「田名網敬一」は、後に

 

「戦争体験が私の作品に大きな影響を与えたことは否定しない。」

 

と述べている。

また、「田名網敬一」は戦争のことを、”得体のしれない怪物”と呼び嫌悪している。

そのためか、時に「田名網敬一」の作品は”得体のしれない不条理”に抗おうと攻撃的であり、どこか悲痛な叫びを伴っている。

  

田名網敬一とポップアート

1967年、「田名網敬一」はニューヨークへ渡米している。

そこで「田名網敬一」はポップアートの巨匠「アンディー・ウォーホル」作品に出会った。

以後、「田名網敬一」の作品からは、「アンディー・ウォーホル」の影響が見え隠れする。

さらに、「アンディー・ウォーホル」からは”アートを商業的視点から見る”ことにも影響を受けたようで、後に多くのポスターや雑誌の表紙を手掛けるなど、

デザイナーとしての活動にも力をいれていたようだ。

ポップアートを日本に持ち込んだといっても過言ではないのかもしれない。

 

映像作品

映像作品大好きの私が、独自に「田名網敬一」に切り込もう。

上記でも記載したように、「田名網敬一」は「アンディー・ウォーホル」に大きな影響を受けた。

1975年に制作した「優しい金曜日」や同年製作の「4・EYES」なんかはもろ「アンディー・ウォーホル」である。

2000年前後には生と死を題材に多くの作品を残しているが、やはりそこにもアメリカ文化の色は消えていない。

思うに、「田名網敬一」はアメリカ文化から影響を受けたというよりも、

「アメリカ文化に憧れを持っていたのではないだろうか?」

というのが私の分析である。

それから、「田名網敬一」の描く空想の世界は、

子供の見る夢のような世界が多い…気がする。

どこか無邪気な表現をしている、「田名網敬一」の映像作品…。

皆様はどう思うだろうか?  

  

小ネタ

「田名網敬一」は、幼少の頃、日本売高島屋の裏に住んでいたようだ。

よって、遊び場は高島屋だった。

当時は日本がコスモポリタンになろうとしている真っ最中であり、店内にはいろんな人種の人々がひしめいていたそうだ。

そこで見た異人たちの服装、景色、体験などが「田名網敬一」の色彩感覚を養ったらしい。

また、「田名網敬一」は企業デザインのコラボも積極的に行っている。

Louis Vuittonとコラボしたのは有名な話。

Louis Vuittonのコラボ商品はほしいが、私の手には届かない。というのは別の話…。 

 

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