Masasakiblog

アートを愛し、アートに生きよう。。。

No,55 本日の主人公は「ミロ」といってもヴィーナスじゃないよ。

本日の主人公は「ミロ」といってもヴィーナスじゃないよ。

 

芸術に興味ない人に、

 

「ミロの絵画っていいよねぇ。」

 

と言っても、

 

「ミロのヴィーナスが絵を描くかよ。」

 

なんて返ってくるかもしれない。

芸術なんて、興味ない人にとってはそんなものである。

 

さて、本日の主人公は20世紀の絵画の巨匠、

 

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ジョアン・ミロ



 

である。

最近、絵画についての記事が多くなってきており、

アートブログ然としてきた。

良い傾向である。

相変わらずシュルレアリスムが多いが…。

だがそれも仕方がない。

 

だって好きなんだもの。

 

ジョアン・ミロはシュルレアリスムの中では特におもしろい作品が多い。

初めてジョアン・ミロの作品を目にしたとき、私はこう思った。

 

「きっと、この人は欲望の逃げ道がないのだろうな。危ない人だな。」

 

と…。

あくまで私個人の意見なので、そのつもりでお読みいただきたいが、

ジョアン・ミロはアートを用いいてしか己を表現できなかったのだろう。

喜怒哀楽であったり、三大欲求であったりを絵画以外で表現するのが下手糞だったのだ。

だから、ジョアン・ミロは絵を描いた。

そして、徐々に薬が効かなくなり、服用量が増えるように、

普通の表現では飽き足らなくなり、

その画風はどんどん過激になっていた…。

多分ね…。

 

 

 

基本情報

「ジョアン・ミロ」

本名

  • ジュアン・ミロー・イ・ファラー

生誕

  • 1893年4月20日

死没

  • 1983年12月25日(90歳没)
国籍
  • スペイン
代表作品
  • V・ヌビオラの肖像(1917年)
  • E.C.リカルトの肖像(1917年)
  • 耕地(1923年)
  • 風(1924年)
  • カタルニアの男(1925年)
  • これが私の夢の色(1925年)
  • 国王陛下(1974年)
  • 女王平価(1974年)  …etc.

 

作風

 

 

いわゆる抽象画を多く残している。

しかしながら、初期作品は風景画や人物画も多い。

初期作品の中で、私は特に「E.C.リカルトの肖像(1917年)が好きなのだが、

バックに浮世絵が描かれており、ジョアン・ミロが多くのアートから影響を受けていることが垣間見える。

ジョアン・ミロが完全に抽象画を描くようになったのは、

私が知っている限りでは1920年代前半から。

その抽象画は時に神秘的であり、時に性的な表現を用いている。

1930年代以降の作品はますます難解な作品が多くなるが、

観ていてなんだか素敵と感じる作品が多い。

簡単に言うと、ファッショナブルなのだ。

Tシャツにすれば絶対に売れる。

そんな作品が多い。

そんなジョアン・ミロであるが、晩年になるとテーマが少し暗くなる。

何故だろうか?

死に近づいたからなのか?

 

  

ジョアン・ミロが画家になるまで

 

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ジョアン・ミロはアーティストとなるには、十分なほどの良い環境のもとに生まれた。

父親は金銀細工、時計職人であり、

祖父は鍛冶職人であった。

しかし、ジョアン・ミロは親をあまり好いていなかったようだ。

どちらかというと、祖父について語ることが多かったらしい。

 

「父親?時計を直していたよ!」

 

なんて言っていたらしい。

 

ジョアン・ミロは幼い頃から将来は画家になると決めていたそうだ。

しかし、ジョアン・ミロは手先が不器用だった。

特にデッサンを苦手とし、それによって落ち込むことも多かったらしい。

 

「私はデッサンがとても下手だった。にもかかわらず画家になりたかった。いや、だからこそ画家になりたかったのだ。…必然的に、私は戦わなくてはならなかった。人生において私をいつも引き付けたものは、戦いだ。」

 

正直何を言っているのかわからんが、

とにかく画家になりたかったのだ。

 

 

ジョアン・ミロは18歳で鬱病を患い、

カルターニャのモンロッチというところへ移り住む。

一時精神的に絵を描くことが出来なかったが、

ピカソと出会い、ピカソに温かく迎えられたことにより、

アーティストの階段を着実と登り始めるのだった。

   

 

ジョアン・ミロという人物

 

 

ジョアン・ミロは公の場では申し分なく礼儀正しかったそうだ。

他人に対しては最大限の敬意を惜しまなく、

常に周りに気を使った。

 

そして、子供好きだったとしても知られる。

子供と接するとき、ジョアン・ミロの表情はとても柔らかく、

優しいものに変わったらしい。

しかし、芸術に対してはストイックで、

仕事となると目が輝き、顔は締まり、人が変わったそうだ。

そして、政治家を嫌悪していた…。

ザ・芸術家だったのだろう。

 

 

演劇とジョアン・ミロ

 

 

ジョアン・ミロは舞踏や演劇を愛してやまなかった。

特に舞踏は、絵画と肉体が一つの空間を作ることから、

作品に大きく影響を与えている。

有名な連作、「オランダの室内」はもろにそのエネルギーを踏襲しており、

躍動感に満ち溢れている。

 

ジョアン・ミロの芸術的思想

 

 

ジョアン・ミロは、常に現在の一瞬ひらめきを大切にしていた。

その時の心情をカンバスにぶつけることは、

ジョアン・ミロにとって、最も重要なことだったらしい。

 

「私が絵画の開放だけでなく、精神の開放のためにも力を尽くしたことを理解してもらいたい。」

 

こんなことが言えるのは、現在の一瞬にすべてを賭けてきたからだろう。

この活動は同時に、常に新しいものを創造し続けることを意味する。

晩年のミロはこう言った。

 

「私が死ぬ間際まで、人々が私を攻撃してくれれば光栄だ。」

 

  

小ネタ

小ネタでも何でもないが、

以前紹介した映画ヘドウィッグ・アンド・ザ・アングリーインチに出てくる絵はミロっぽい気がする…(詳しくはNo,2 ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ参照)。

世界観もなんだか、ねぇ。

 

 

 

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