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No,75 超自然派作家、フンデルトワッサー

超自然派作家、フンデルトワッサー

 

自然が大好きだったんだろうなぁ。

と思わせてくれる、

 

フンデルトワッサー

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フンデルトワッサー

 

が今日の主人公。

 

螺旋渦巻き模様を様々なカラーリングで用い、

とてもナチュラルに自身の内面を表現したフンデルトワッサー。

実は建築もやってたりする。

 

ずっと眺めていても飽きないその作風は、

絵画初心者の人でも楽しめるかとは思う。

 

時に風景を描いたり、人物を描いたりするが、

その根底には内に秘めた「何か」を外界に放出しているので、

とても大胆で、見ていてスカッとする作品が多い。

それでいて、とても自然な表現にも見えるのだから不思議だ。

 

今でもその絵の評価はかなり高いので、

一度は画集を購入するのも悪くないかもしれない。

 

 

基本情報

「フンデルトワッサー」

本名

  • フリードリヒ・シュトーヴァッサー

生年月日

  • 1928年12月15日

死没

  • 2000年2月19日(71歳)
国籍
  • オーストリア
代表作品
  • 街の木でさえずる鳥(1951年)
  • 99の顔(1952年)
  • 血を流す家々(1952年)
  • ギリシア人の最後(1964年)
  • 家が牧場の下に吊るされている(1970年-1971年)
  • 家と草原と赤い霧(1974年-1975年)
  • 郷愁の紫色の屋根(1981年) …etc.

 

作風 

 

フンデルトワッサー 楽園を求めてー絵画から建築へ HUNDERTWASSER architecture

フンデルトワッサー 楽園を求めてー絵画から建築へ HUNDERTWASSER architecture

 

 

渦巻き、螺旋。

そして「ナチュラル」。

フンデルトワッサーの作品の評価にあたっては、

これらの単語がよく使われる。

フンデルトワッサーは自然を深く愛した。

そして、その自然の表現を追求していくうちに、

渦巻き、螺旋を多用するようになった。

 

「渦巻きは植物の形態のように有機的なんです。創造という行為は、渦巻きの中で行われるものだと確信している。」

 

なんといっても本人が確信しているのだから、

自然と渦巻きはフンデルトワッサーの最大のテーマだったのだろう。

 

フンデルトワッサーの作品の中には、

渦巻きがあまり使われていない作品も多い。

しかし、キャンバスをはみ出した筆は、

キャンバスの外に渦巻きを描こうとしている。

そして、一本一本の線が、とても滑らかでとても心地いい。

 

一言でいえば、とてもやさしいタッチで絵を描く。

その表現は正に、自然の持つパワーと優しさを表しているのである。

 

 

フンデルトワッサーがアーティストになるまで 

 

Hundertwasser

Hundertwasser

 

 

フンデルトワッサーは1928年、ウィーンに生まれた。

父はアーリア系オーストリア人で、第一次大戦後は工科系の公務員だったそうだ。

母はユダヤ系チェコ人。

そんな二人のもとで、幼少期のフンデルトワッサーは英才教育を受けて育つ。

しかし、フンデルトワッサーが10歳の時、

ドイツ軍がウィーンを占拠し、残酷なユダヤ人狩りを始める。

フンデルトワッサーの親族も、74人中69人までが殺害されてしまう。

その中には祖母も叔母も含まれていたそうだ。

母はオーストリア人と結婚しているという理由で殺害を免れる。

 

だが、フンデルトワッサー自身は、ヒトラー・ユーゲントに加入している。

 

「私の子供時代は、ヒトラーの時代。いつも冒険映画の中で暮らしているようなものだった。親戚が迫害を受けた時もひどい子供時代とは思わなかった。疑いや不正を見るにはあまりにも若すぎた。」

 

後のフンデルトワッサー自身の言葉である。

国中が軍国主義一色に塗りつぶされ、若いフンデルトワッサーは疑うことすら許されなかったのだ。

だが、戦争が終わると同時に軍国主義が裏返えり、民主主義の時代が到来する。

この時初めてフンデルトワッサーは社会の屈折を感じた。

 

「人生には裏と表があるんだ。」

 

そんな風に人生を傍観するようになったことから、直線を嫌い渦巻きを生み出す原動力を生み出したともいわれている。

 

本格的な美術教育を受けるのは20歳の頃、

ウィーン美術アカデミーに入学。

しかし、三か月で退学。

その二年後、パリのエコール・デ・ボザールに入学するが、わずか一日で退学。

その後も旅をつづけながら絵を描き続けた。

なんとその旅の中には日本も含まれている。

 

自由を求めていたのだ、彼は…。

 

 

渦巻き絵

 

Opal Hundertwasser Tutto 697 RegentagリモートコントロールLove Waves 1435 100 g

Opal Hundertwasser Tutto 697 RegentagリモートコントロールLove Waves 1435 100 g

 

 

有名な渦巻き絵をはっきりと描き始めたのは1953年の25歳前後から。

しかし、渦巻き絵は突然現れたのではなく、

 

「幼い頃から渦巻きを描くのが好きだった。」

 

とインタビューでも答えている。

フンデルトワッサーの描く渦巻き絵はオートマティスムと知性の融合であったそうだ。

超が付くほどのオートマティスムの作家は、

ドラッグに頼ったり、目隠しをしたり、左手で描いたりしていたらしい。

 

だが、フンデルトワッサーはそれをしなかった。

 

「美術館に行くために私の足で(自転車に乗って)弾く線は、決してまっすぐにもでたらめにもならない。それぞれの最も小さな部分に至るまで、そうなっているという根拠があることを知ると、大きな喜びを感じる。直線とでたらめの線には気をつけなさい。特に直線は、人間の喪失に導くのだから…。」

 

本人の言葉である。

もはや哲学である。

 

 

フンデルトワッサーハウス

 

Hundertwasser architecture

Hundertwasser architecture

 

 

冒頭にも紹介したが、フンデルトワッサーは建築にも挑戦している。

 

「私にとって素晴らしい街とは、美しく仕上げられた街です。自然よりも美しく、創造的で、驚きに満ちた夢のような存在なのです。私はこのような街を手掛けていますし、それが可能であることを証明してきました。」

 

大した自身である。

しかし、その自信を裏付けるかのように、

フンデルトワッサーのデザインしたフンデルトワッサーハウスはワクワクするものに仕上がっている。

ポップで、自然あふれていて、夢のような場所…。

自然を愛するフンデルトワッサーらしく、テラスや屋根には草木が植えられており、

てっぺんには黄金職の玉ねぎタワーがそびえたつ。

白い壁には、子供が自由にいたずらできるところなんて、最高だ。

 

「道路はただ歩くためのものだけではなく、道行く人に、人間性、暖かさ、美、親密さを与えることができるし、またそうあるべきです。」

 

私が住む田舎も、フンデルトワッサーにデザインしていただきたかった…。

 

フンデルトワッサーは変人? 

 

 

たぶん変な人だったのじゃないかと思う。

例えばそのファッション。

メディアの前に現れるときは、コシノさん姉妹も驚きのサイケな服で身をまとい、

常に帽子をかぶっていた。

1961年に来日した時は、

 

ショッキングピンクのネクタイ、

ショッキングプルーのベルベットのズボン、

黒ベルベットのジャガード織の上着、

素足には赤い花小野草履…。

 

あほだ…。

 

さらに、フンデルトワッサーはその生活スタイルも独特であったそうだ。

一言で言えば、原始生活。

 

水道なし、

ガスなし、

風呂、台所もなし。

文明の利器は裸電球とラジオと電熱器のみ…。

 

あほだ…。

 

小ネタ

フンデルトワッサーは一時期日本人と婚姻生活を送っていた。

そのお相手は、池和田侑子さん。

当然、彼女も芸術家であった。

 

 

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