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No,46 フォーヴィスム派のアンリ・マティスの晩年期の絵画は私の趣味嗜好にあっている

フォーヴィスム派のアンリ・マティスの晩年期の絵画は私の趣味嗜好にあっている

 

今まで、やたらめったにシュルレアリスムについて語ってきたが、

今回は少し趣向を変えようと思う。

このブログでは初めて取り上げるが、

フォーヴィスム派の画家

 

アンリ・マティス

 

が本日の主人公。

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アンリ・マティス

アンリ・マティス…。

ご存知の方も多いかもしれない。

力強いタッチと、明暗のはっきりした色彩感覚を持ち、

だが、どこか優しい作品を多く残した画家である。

 

以前から語ってきたが、

私は20世紀に入ってからのアーティストが大好きである。

このアンリ・マティスも主に活躍したのは20世紀初頭…。

つまり、世界は近代への歩みを始めたころである。

 

人類がまだ発展途上出会ったこの時期の絵画…。

ワクワクするではないか。

では、アンリ・マティスの詳細情報を記そう。

 

基本情報

「アンリ・マティス」

本名

  • アンリ・エミール・ブノワ・マティス

生誕

  • 1869年12月31日

死没

  • 1954年11月3日(84歳没)
国籍
  • フランス
代表作品
  • 豪奢、静寂、逸楽(1904年-1905年)
  • 緑のすじのあるマティス夫人の肖像(1905年)
  • 赤のハーモニー(1908年)
  • ダンスI(1909年)
  • インコと人魚(1952年)
  • スイミング・プール(1952年)
  • 花と果実切り紙絵(1952-53年)
  • 上祭服 (1950年頃)  …etc.

 

フォーヴィスム派 

アートに興味のない方からすれば、

 

「フォーヴィスム派って何?」

 

という質問が出てもおかしくはないだろう。

フォーヴィスムなんて言葉、日常でそうお目にかかることがないからである。

そんな方に簡単に説明しおこうと思う。

 

フォーヴィスム派とは20世紀初頭に起きた絵画運動のことを言う。

フォーヴという言葉は「野獣」を意味し、

その言葉通り、荒々しいタッチで、原色を多用し、

アーティストたちは野獣的な絵をこぞって描いたそうだ。

 

この運動は、その期間がとても短い。

すぐ後にシュルレアリスム派が待ち構えており、

20世紀初頭の絵画運動の移り変わりがいかに激しかったのかがわかる。

私個人としては、フォーヴィスムはシュルレアリスムの前身としてとらえているのだが、

間違っていたら、ご指摘いただきたい。

 

作風

 

マティス (ちいさな美術館シリーズ)

マティス (ちいさな美術館シリーズ)

 

 

説明したように、フォーヴィスム派であるのだから、

アンリ・マティスの作品は力強い色彩に、荒々しいタッチで描かれる作品が多い。

時には「豪奢、静寂、逸楽(1904年-1905年)のように、点描を用いた作品も描いているが、

やはりアンリ・マティスの魅力はその大胆なタッチかつ、そのうちに秘めたやさしさではないかと私は思っている。

晩年期になると、「オセアニアの思い出」(1952年-1953年)や「ブルー・ヌードルⅣ」(1952年)など、結構意味の分からない作品も多く残している。

意味不明アート大好きな私は、この辺の作品が大好きなのである。

ただし、本当にアンリ・マティスの好きな人はきっと、中期の作品が好きなのだろう。

アンリ・マティスファンとしては邪道だが、

それでもいいじゃないか。

私は私である。

  

アンリ・マティスが画家になるまで

画家の中では珍しく、アンリ・マティスは小ブルジョワの過程に生まれた。

つまり、結構裕福だったようだ。

当時のフランスブルジョワ家庭にはよくある話だが、

アンリ・マティスは将来を期待され、法律を学び厳しい教育を受けて育ったようだ。

そんなこともあり、少年期のアンリ・マティスは絵の勉強をしていない。

初めて絵の勉強をしたのは20歳の時である。

 

父親の反対を押し切って芸術大学に入学したアンリ・マティスであったが、

当時のアカデミックな画家教育に納得の以下なったアンリ・マティスは、

1900年に美術学校をやめている。

 

反逆児であったアンリ・マティス…。

フォーヴィスム派の絵画運動を始めたのも理解できるというものである。

 

 

ピカソとアンリ・マティス

ピカソとアンリ・マティスは面識があった。

12歳年下だが、画歴が長いピカソとアンリ・マティスはどうやら「徒党を組む」

ような関係ではなく、逆に対照的な関係であったようである。

後に作家のジャン・カスーはこう言っている。

 

「マティスはピカソがピカソであることを知っており、ピカソはマティスがマティスであることを知っていた。」

 

つまり、二人はライバルであれど、互いを認め合っていたのである。

因みに、1927年にマティスは最初のカーネギー賞を受賞しており、3年後はピカソが受賞している。

 

 

切り絵

 

アンリ・マティス 切り絵

アンリ・マティス 切り絵

 

 

アンリ・マティスは切り絵にも挑戦している。

代表的なものに、「千夜一夜物語」(1950年)などがあるが、

アンリ・マティスにとって、切り絵は原色での表現の到達点であったようだ。

因みに、アンリ・マティスの切り絵は本当に素敵である。

家に飾りたい…。

 

死没

 

アンリ・マティス『ジャズ』再考―芸術的書物における切り紙絵と文字のインタラクション
 

 

アーティストにしては珍しく、アンリ・マティスは長生きをした。 

晩年には、礼拝堂の内装をデザインしたり、上祭服のデザインを担当していたりする。

最後までみんなに愛されたのだろう。

  

小ネタ

アンリ・マティスはプロレスラーのリングネームみたいなものを持っている。

 

「色彩の魔術師」

 

がそれである。

私は、

 

「くだらない物書き」

 

と呼ばれたい。

が、それはまた別の話…。

 

 

 

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