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No,53 The 1960'sの柄と言えばフランク・ステラだよね

The 1960'sの柄と言えばフランク・ステラだよね

 

 

オーウェン・ウィルソン主演の

「ミッドナイト・イン・パリ」でも言っているが、

人は昔の文化に憧れを持つものだ。

 

 私も例外ではなく、

私は1920年代~1970年代の音楽をよく聴く。

アート鑑賞もその時代の難解な作品が大好きだ。

本日紹介するアーティストは、そんな1960年代~活躍したアーティストの一人、

 

フランク・ステラ

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フランク・ステラ

 

である。

彼の作品は、The 1960'sだと私は思っている。

1960年代と言えば、アートの世界も音楽の世界も文学の世界も、

発展の過渡期であった。

よって、この時代に作られた作品の多くは、パワーがすごい。

 

アンディー・ウォーホル

草間彌生

コシノ三姉妹

も信じられないほどのパワーに満ちあふれた作品を発表している。

 

金といとまができれば、我が家の書斎を、

フランク・ステラ柄に一新したいと思っているほど、

私はフランク・ステラが大好きである。

では、皆様にその魅力を少しでも知ってもらおうではないか。

 

 

 

 

基本情報

「フランク・ステラ」

本名

  • フランク・ステラ

生誕

  • 1936年5月12日 -
国籍
  • アメリカ合衆国

最終学歴

  • プリンストン大学
代表作品
  • お前の唇は青い(1958年)
  • ダランベールの夢(1974年)
  • エスキモー・シャクシギ(1976年)
  • アカハラシキチョウ(1979年)
  • 怖いものなしの大馬鹿者(1987年)
  • ワトソンと鮫Ⅰ(1991年)  …etc.

 

作風 

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初期はこんな感じ

フランク・ステラは年代によって、表現方法が大きく異なる。

 

1960年代前半に直線を使って幾何学的な模様で自らを表現したと思えば、

1960年代後半には、曲線を多用している。

1970年代に入ると、キャンバスではなく、板や混合素材を複雑に組み合わせた表現を見せ、

1970年代後半には、その素材がアルミニウムなどの金属に変わった。

1980年代になるとビビットカラーのオブジェを量産し、

1990年代になると、そのスケールはますます大きくなった。

 

フランク・ステラの変貌を好まざる者も一定数いるが、

私はこのフランク・ステラの挑戦の歴史が大好きなのである。

 

一般ピープルには、フランク・ステラは変貌の作家と思ってしまいがちだが、

フランク・ ステラにとって、キャンバスに描く絵も彫刻も同じらしい。

絵画であれど、彫刻であれど、フランク・ステラは同じ芸術的衝動で制作しているのだ。

インタビューでフランク・ステラはこう語っている。

 

「絵具のひと刷きが、いつしか自然に成長して、今や金属のオブジェの一片に進化したけれど、しかし自分としては何ら意識的な作為を及ぼしたわけではない。したがってカンバスの上の絵具のひと刷きと金属の一片との間には、本質的な差はない。それを絵画か彫刻家と峻別することには意味がない。」

 

つまり、フランク・ステラにとって、芸術の「変化」は「変化」ではなく、

必然的な「成長」だということだ。

 

因みに、私個人としては、初期の幾何学的な作品に魅力を感じる。

1960年代、1970年代好きにはたまらない雰囲気を持っているからである。

説明するより、観てほしい。

さぁ皆んな、からググろう。

  

フランク・ステラが絵描きになるまで 

 

 

フランク・ステラは婦人科医の父と美術学校出身の母の間に生まれている。

つまり、リッチマンの家庭で生を受けたのだ。

母親の影響からか、幼少期から絵に興味を持ち、

14歳の時にはプロから絵画の手ほどきを受けている。

しかし、この頃フランク・ステラは画家になろうとは思っていなかったようだ。

なんと、弁護士になりたいと思っていたらしい…。

 

フランク・ステラが画家になろうと考えはじめたのはカレッジに入ってから。

それでも、画家になりたいと強く思っていたわけではなく、

単に描くことが好きだっただけらしい。

 

好きこそものの上手なれ

 

フランク・ステラのための言葉かもしれない…。

   

 

フランク・ステラのアトリエ 

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後期はこんな感じ

私も、当然行ったわけではなく、写真で見ただけだが、

フランク・ステラのアトリエは、アトリエというよりも、巨大な工場である。

1970年代後半以降、立体的な作品を量産しているのだから、

巨大な工場のような形をしていても不思議ではないのだが、

面白いのはその外観である。

今でもそのアトリエを使っているのか、

そのアトリエが残っているのかは不明だが、

私が写真で見たアトリエの外観は、

完全に街と溶け込んでおり、

アトリエの雰囲気が全くなかった。

アトリエも、作品も、要は中身なのだ。

 

 

フランク・ステラと日本画家

 

Frank Stella: 1970-1987

Frank Stella: 1970-1987

 

 

実は、フランク・ステラは日本の画家をほとんど知らない(かった)ようだ。

ただし、1950年代後期から1960年代初期にかけての日本の具体派を評価していたようで、

後のインタビューで

 

「日本の具体派は抽象表現主義の日本版といってよい存在だったのではないでしょうか?彼らは型になどはまっていなかった。私はそれが好きだった。」

 

と語っている。

 

因みに、ステアの作品は北九州博物館・DIC川村記念美術館でみることができる。

 

フランク・ステラの思想

 

 

何度も言うが、フランク・ステラは変化を成長ととらえて、恐れない。

フランク・ステラはどうやら衝動的に技術作品を制作するタイプのようだ。

彼はこう語っている。

 

「即興はとても大切です。無頓着に何事も取り入れ、作品に制限が加わらなくなるようにするのが重要なのです。ただし、芸術的衝動はコントロールしなければいけない。作品の言うがまま、なすがままではなく、どれだけ私がそれをコントロールできるのか、コントロールしたいのかということです。」

 

このインタビューは興味深く読ませていただいた。

つまり、フランク・ステラは芸術的衝動と戦い、打ち勝ってきたのだと思う、

 

  

小ネタ 

小ネタでもなんでもないかもしれないが、

装飾・説明を極端に削り落としたものを、ミニマル・アートという。

つまり、初期のフランク・ステラは絵画会のミニマリストだったということだ。

 

それから、彼は葉巻を好んでいたらしい。葉巻を加えた写真が多く残っている。

 

 

 

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